PRAYERS WISHES ILLUSIONS

「PRAYERS WISHES ILLUSIONS」

 

邦題は、「祈・望・幻想」

誰も知らないピアニスト。

タッド・ガーフィンクル。

うそ。

昔はジャズでは結構有名だった。

でも、今はほとんどプレイヤーとしての活動をしていないのではないかと思う。

その代わりにプロデューサー兼エンジニアとしていろいろなミュージシャンのCDをリリースしている。

その彼が、かれこれ25年位前だろうかこのCDを発売している。

彼のレーベルM・Aレコーディングスの第1作である。

これは、ベーゼンドルファーの97鍵のコンサートグランドを用いて録音されている。

録音は、小さくて天井の高い響きの良いホールで録音している。

彼がこのホールにこだわって何作も録音しているホールである。

「音」も「演奏」もイイ!

いわゆる標題音楽である。

タイトルに沿った内容の楽曲である。

一曲目の「The Real Thing」

これが一番好きである。

一種独特のリズム感の快活でダンサブルな曲。

ちょっと突っかかる感じのリズムが何か「特別」な感じを醸し出している。

この曲は、本人によると「芸術的な感覚での成功を表現した」という風に言っていた。

なんとなく「芸術って素晴らしいですね!」という気になる曲なのは間違いない。

そう、タッド、あなたは芸術の道で成功した!

この曲は本物ですね。

他に「Chldren’s Prayer」という曲。

これもいいね。

まあ、子供の祈り。ですが。

まさに何か夢見るような気持のいい曲です。

曲のタイトルから十分に子供がどんな夢を見ているかを想像してしまう曲。

因みに自分の子供のころはドロドロした夢しか見てなかったかもしれない!

この曲のようなキレイな夢を見たことは無い!(泣)。

そんな感じ。

きっとかわいい女の子が見ていた夢でしょう。

と、思うことにします。

「First Flighit」

これもイイね!

直訳すると初飛行。

でも、飛行機のフライトではありません。

初めて巣から飛び出すひな鳥を描いた曲です。

いやあ、これがまさにその通り!の雰囲気。

飛ぶのを失敗して、ポテっと落ちるのではなく、

大空に向けて清々しく羽ばたいて、優雅に飛び回っているような印象。

インストの曲でこういうビジュアルが頭の中に想起される曲ってなかなか無いと思う。

表題音楽っていっても中途半端じゃないこういう曲は気持ちいいですね。

正直他にはあまり知らない。

こういう音楽と出会えた時の喜びは大きいですね。

又、新曲出してもらいたいと思います。

タッド・ガーフィンクル様。

どうぞよろしくお願いいたします。

ゴールドベルグ変奏曲

ゴールドベルグ変奏曲

 

 

言わずと知れた録音芸術史上の最高峰である。

言わずもがなのグールドである。

自分の音楽人生において、記念碑としての作品は二つある。

ひとつが、ボブジェームスの”restress”
もう一つがこれである。

クラシックに目覚めることができたのはこのCDのおかげである。

この録音のCD、何枚持っているかわからない。

ことあるたびに、ハイビットマスタリングやゴールドCDなど、いろんなバージョンが出ている。

結構持っているので、もう何枚持っているかわからない。

自分が一番気に入っているのはゴールドCD版である。

あ、いや。

それはともかく、演奏である。

クラシックなど全然分からなかった自分が、まったくもって「楽しく」聴けたのである。

ピアノの演奏のみで約50分間の間、全く退屈しなかった。

それで、「俺、クラッシックいけるじゃん!」と相成り申した次第である。

その後、ご多分に漏れず、グールドそのものにハマっていくことになるわけで・・・

この人のおかげで随分と音楽そのものに、のめり込まされたものである。

突然変異の天才である。

”空前絶後の天才” で、異論はないであろう。

天才が奏でる音楽がいかに楽しいか。

一体、今まで何回聴いたか。

・・・ タコにイカが出来るほど聴きました。

ハイ。

是非、ご家庭でも一度お試しあれ。

 

追記

因みに、ゴールドベルグではなく、「ゴルトベルグ」と表記されるケースが多い。

この盤はSONYなので他のメーカーや、一般評論などでは「ゴルトベルグ」の方が多いかもしれないので追記しておく。

 

カインド・オブ・ブルー

カインド・オブ・ブルー

 

このレコードは、

人類の音楽遺産という位置づけである。

・・・だって、自分で言ってるんじゃないんだもん。

何年前か忘れたが、あるCDの雑誌でクラシック、ポップ、ロック、ジャズでのオールタイムベストを選出する企画があった。

そのジャズ部門で、4人の評論家のうち3人がオールタイムベストとして「カインド・オブ・ブルー」を選んでいた。

はっきりと「人類の音楽遺産」とされていた。

実際、今でも世界で一番売れているジャズのCDだそうである。

一体、著作権料はどこに行っているのであろうか。

もう、50年過ぎているから、レコード会社が総取りなのか?

下世話な話になってしまったが、人類の音楽遺産で異論は無い。

このアルバム、全曲最高なのは言うまでもないが、一番素晴らしい曲は、なんといっても三曲目の「ブルー・イン・グリーン」でる。

マイルスデイビス作曲のこの曲こそ、ジャズの全てと言っても過言ではない曲となろう。

さすがのマイルスである。

しかーし。

この曲は実際にはエバンスの作であると後年ずっと問題にされ続けた作である。

エバンス自身も認めているようで、エバンス作なのは間違いないというのが歴史歴認識である。

この、人類の音楽遺産の中での最高の曲はビルエバンスの物であるという事実を忘れてはならない。

この三曲目「ブルー・イン・グリーン」の音世界の全てを支配しているのはエバンスの奏でる和音である。

この、妖しい響き。

モーツアルトの「レクイエム」のような響きである。

そう感じる。

この演奏はDドリアンという調性(よくわかりません)らしい。

モーツアルトのレクイエムはDマイナーである。

モーツアルトは名作と呼ばれるようになる楽曲で、ここぞとばかりにDマイナーの調整を用いたという話を聞いたことがある。

エバンスも然り、なのか。

(よくわかりません)

ワルツ・フォー・デビイ

ワルツ・フォー・デビイ

 

ビルエバンスである。

ジャズ史上の、名盤中の名盤中の名盤中の名盤である。

もう、10年も前のことになるが、ニュース番組の取材のコーナーで、横浜で何十年も続いたジャズ喫茶(BAR?)が本日閉店するというその模様を追った映像が紹介されていた。

今日のためにオールドファンが全国から何十人も集まってきて、別れを惜しんだというその日。

店主が、「みなさん、それではこれが最後の曲です!今まで長い間ありがとうございました!」
「それでは、最後の曲、かけます!」と、泣きの涙で叫んだ後にスピーカーから出た音は、このアルバムの一曲目の”マイ・フーリッシュ・ハート”であった。

このエピソードが、このアルバムの価値を十二分に物語っている。

ジャズ喫茶の経営者といえば、”その人の人生そのものがジャズ”と言って差し支えないだろう。

その人が人生の最後の舞台でかける曲は、その人にとって最高の物、一番愛している物で無い筈がない。

このエバンストリオの名演はある意味、”ジャズの全て”であると言って差し支えないはずと思う。

少なくともその店主にとっては。

しかし、あまねく人間世界にとっても同じことと思う。

このトリオが奏でる音。

詩的音楽世界。

ジャズのクールな要素の根底に根差すリリシズム。

このアルバムの一曲目、最初の一音が出た瞬間に表出される音宇宙。

一瞬に瞬きながら、永遠であるもの。

永遠を紡ぎながら、一瞬でありうるもの。

色即是空とはこのことか。

(よくわかりません)

★「ブラックスター」

 

デビットボウイである。

★と書いて、ブラックスターと読むそうである。

このアルバムが発売された数日後に彼は亡くなる。

これは、デビットボウイの自分自身へのレクイエムである。

死期が近いことを百も承知で制作されたアルバム。

ブラックスターのスターはロックスターの自分自身。
ブラックの意味は喪に服す色としての黒。

完全に死を前提にした作品である。

しかし、その音世界は死そのものを表現しようとしているわけでなく、死への諦めでもなく、人生の総括でもない。

自分の魂がこれからも続いていくということが自分には伝わってくる。

3曲目の”ラザルス”

「見上げてほしい天にいる俺を」
「俺は自由になるだろうあの青い鳥のように」

このように歌われている。

最後の曲は「私はすべてを与えることができない」というリフレインで終わっていく。

このような形で遺言を残した音楽家もそうはいないと思う。

このアルバムのすべてが「死」に支配されている。

そのように感じる。

しかし、音世界は深淵でむしろ光がある。

最後の曲はまったくこの様にしか聞こえない。

”天国への階段”

それは、雲の上に上っていく、ずっとずっと高く昇っていく。

光あふれた世界へ。

そのようにしか聴こえない。

涙が出てきて、もう、しばらく聴けない。

彼の死によって人類が失ったものは、大きい。

イマジナリーデイ

イマジナリーデイ

 

パットメセニーである。

パッとしないメセニーではない。

パットメヤニーでもない。

パットメセニーである。

メセニーはジャズギタリストであると言い張る友人がいる。

フュージョンとは言ってほしくないそうである。

気持ちはわかる。

でも、これ、ジャズか??

はあ?

ジャズとは言えないであろう。

ジャズっぽくさえもないだろう。

しかし、メセニーはジャズギタリストである。

そんな、音楽である。

ところが、そんなのんきなことは言ってられない音楽である。

こんなにぶっ壊れた音楽って他にあるの?

超絶音世界。

タイトルナンバーの”イマジナリーデイ”。

一曲目から大変な騒ぎである。

一体どうやったらこんな音楽を構築できるんだ!

まさに人間の音楽想像力の極限である。

これをジャズと言われても、アグレッシブすぎてフュージョンでさえ無い。

現代音楽的と言えなくもないが、しっかり小難しい理論で構築されているわけじゃない。

あくまで自由な音楽だ。

十分にポップな精神であるといえる。

二曲目なんて完全にポップですから。

でも、CDの帯には”ジャズ/フュージョン”と書いてある。

もうね、ジャンル分けっていうのは意味がないんだ。

あくまで、どの棚に並べるかの目安でしかない。

演歌でないのは確かだから。

棚わけ分類項目ということでよろしいでしょうか。

大体さー、

このアルバムの7曲目。

”The Roots of Coincidence”

これを、メセニーはライナーノートの中で「完全にロックになったよね」などとのたまっている。

それ、もうロックじゃん!

ロックだと思うよ。そうしか聞こえないもんね。

ジャズミュージシャンが作り出したロック。

それでいいよね。

ケルンコンサート

ケルンコンサート

 

キースジャレットである。

どうも世間一般ではキースと言ったらコレのようである。

初めてのキースはこれだった。

感想は一つしかない。

「なんと言う音!」

これはピアノの音なのか??

とにかく、こんな音は聞いたことがなかった。

いや、今でもない。

キースの音はキースの音としてこういう音色であると言える。

でも、これほど澄んだ輝かしい音はほかに聞いたことがない。

ライブにも何回も足を運んでいるが、この時の録音、この音はこれだけのように感じる。

その音は、「天上から降り注ぐ」と言っていいだろう。

天井ではない。

天丼でもない。

”天上” である。

雲の上の天国から降り注ぐという意味である。

この音、ラジカセで聞いてもわかると思うんだけどなあ。

この、音そのものについて語っている評論もコメントも読んだことがない。

何故だ。

みんな、聞こえてないのか、この音が?

信じたくない。

これはアマゾンのジャズオールタイムベスト10に入っていいたと思ったが。

ということは、つまりその音が皆に聴こえているからと信じたい。

優秀録音だからとかそんなんじゃなく、キースの音色だ。

”天国からの音”が聞きたくなったらこの一枚しかない。

タコにイカが出来る程聴いた2枚のCDのうちの一枚である。

このピアノは、コンサートグランドが手違いで届かず、会場の隅にあった壊れた小さなピアノだったそうだ。

キース、頼む。

あと100年生きてくれ。

本当に、お願いだ。

Restless

Restless

 

ウエイトレスではない。

レストレスである。

ボブジェームス名義のリーダー作では最高峰と思う。

まさに、大人の音楽。

このジャンルは一般的には”フュージョン”と言うことになってるが、フュージョンと言っても”ジャズフュージョンである。

ところが、これを”アダルトコンテンポラリー”と分類もされる。

英語はよく分からん!

だが、このアダルトと言う言葉はふさわしい。

この、ジャズのリズムが心地よい。

いわゆるポップやロックは通常、リズムは平面的に進行していく、しかしジャズのリズムは”ズレ”テイルのである。いわゆるシンコペーションの類いである。

小生、音楽など全く聞かなかった頃、親戚が持っていたので「これいいよ」と借りてきた。
すぐに買いに走ったのは言うまでも無い。

有楽町のHMVである。

今はもう無い。

本当に思い出のCDである。

自分が音楽ファンとして、目覚めたのはひとえにこの作のおかげと言って良い。

紛う方無き自分自身の音楽記念碑である。

とにかく、気持ちいい。

いつまでも聴いていられる。

何回リピートてもずっと聴いていたい。

そして、仕事中も一日中頭の中で鳴っていた。

こんな経験は後にも先にもない。

ジャズのリズムは気持ちが良いと言うこと。

そして言わずもがなカッコイイと言うこと。

ジャズを少し聴き始めたのもこの作品の影響である。

サウンドの形態はほとんどポップミュージックであるが、リズムが違う。

イチ、ニイ、サン、シイ。イチ、ニイ、サン、シイ。の繰り返しのリズムでないということが、これほど気持ちいいものなのか。

スカタカター。スカタカターなのである。

シャッフルビートとも言うらしい。

このアルバム、誰に進めてもみんな「ハマった」ということになっていくのである。

万人受けする類である。

でも、本物のジャズオタクや、ロックしか聴かないとか言っている人たちには無理。

こだわりが強すぎて、プライドが邪魔して聴けない。

これを、可哀そうと言う。

ボブジェームスは、何枚も持っているが、似たトーンの作品は一枚もない。

強いて言えばフォープレイの”ビトゥインザシーツ”くらいか。

とにかく、記念碑である。

ダーク・スカイ・アイランド

ダーク・スカイ・アイランド

 

お待ちかね、7年ぶりのエンヤのニューアルバム。
いやあ、ずいぶん長い間新作が出てなかったなあ。

前作がクリスマスアルバムだったから、オリジナルアルバムって言うことで考えると、10年ぶりでごぜいやす。

その前が、ア・デイ・ウィズアウト・レイン。
これがさらに5年前ときた。

いやあこの方、ホントに寡作の人ですね。

でも、それがほとんど気にならない。

やっぱり本物の音楽家であるからと言えよう。

処女作ウォターマークから、シェパードムーン、メモリーオブトゥリー、ここまでのラインはエンヤの黄金のラインである。

この三作のみでもエンヤのキャリアは申し分なく完璧である。

まさに夢の音楽世界を地球上に確立させたと言って良いだろう。

しかし、ここまでである程度本気を出し尽くしてしまったという事だろうと思う。

この5年後にア・デイ・ウィズアウト・レインを発表するまでにかなり悩んだのではないかと思う。
次の新作までの最長期間であったからそうとも思えるが、実は本当はもっとゆっくりしたかったのではないか。

とにかく、出せば売れるのでレコード会社も「出せ出せ」とプレッシャーをかけてきたに違いない。

そのせいか明らかに作風がここから変わった。

悪く言うつもりはないが、軽くなった。ポップになったというか・・・

どうもエンヤのサウンドにはそれまで、ある種の荘厳さの様な物が支配していたが、ア・デイ・ウィズアウト・レインからはやはりポップな感じに変化したと言えるだろう。

雪と氷の旋律でギターソロが登場したのには本当に驚いた。

正直、凄い違和感があった。

それ以来の新作、今回のダーク・スカイ・アイランドはエンヤのポップサウンド化が更に進行しているのではないかと危惧していたが、杞憂であった。

“エンヤが帰ってきた”

そう言える出来である。

全編、抑制されたサウンドで、一貫して荘厳さが支配している。

ウォターマークと聴き紛うほど、サウンドも回帰している。
恐らくローランドのシンセD-50のサウンドだと思うが、多用されている。
25年前に戻ったような錯覚も覚える。

嬉しい。

今回は、じっくりと想像力を膨らませて納得いく作品作りが出来たのだろうと感じる。

次にはもう、期待しない。

もうこれでキャリアを閉じてもらってもエンヤファンはやっていけると思う。

次回作は、今までのパターンのようにまた気分転換にポップにやってもらっても良いと思う。

そのうちまた、本当のエンヤも帰ってくると思うから。